作品ギャラリー最終更新 2024年12月3日

外で絵を描くのが恥ずかしい・失敗が怖いという悩み。どう勇気を持てばいいか

初めて野外スケッチに挑戦する人が最初に直面する困難。「人に見られて恥ずかしい」問題。解決策は、人前で描くという場数を増やすのが最善だとは思います。

つまるところ、自分で勇気を出すしかない――。

以前、スケッチ中に話しかけられたときの対処法を紹介しました。一時期は当サイトで一番の人気記事となっていました。やはり「人に見られる」「人に話しかけられる」って、初心者のスケッチャーさんにはとても関心が高いテーマですよね。

今回はもう少し踏み込みまして。

恥ずかしさに負けず描き切るという、野外スケッチにおける勇気はどこから出てくるのだろうか。そもそもその勇気とはなんなのだろう?

人前で描くのが恥ずかしいから、野外スケッチへ踏み切れない。風景画を写真からしか描けない。そんな方はぜひ参考にされてみてください。気持ちを切り替えるヒントがあるかもしれません。

目次

描き出す瞬間は、楽器を奏でる瞬間に似ている

まずは、恥ずかしい思う気持ちについてちょっぴり分析してみましょう。

演奏の緊張感とスケッチの緊張感はよく似ている

スケッチで真っ白な紙に描き出す時、人通りがある場所で描き出す時。どんなに慣れている人でもいくらかの緊張を覚えると思います。

――この感覚に似ているものはなんだろう?

そう考えてみて、一つ思い出したものがありました。

その昔。音大の短期講座で二胡を習ったことがあります。音階もまともに弾けなかったし、本当にちょっぴりなんですけどね。

教えてくれた先生は、日本における第一人者に数えられえるようなプロの方。初心者向けのレッスンといえども、街の音楽教室にはない緊張感が常にありました。

先生が「開放弦!」と声を張り上げると、サッとみんな一斉に二胡と弓を構えます。

その緊張感はまるでオーケストラの演奏が始まる瞬間のよう。

ここでもたついたり、うっかり手をすべらせて変な音を立てたら先生に目ざとく見つけられたことでしょう。

でも私はこの瞬間が好きでした。あれから10年ほど経って二胡の弾き方はすっかり忘れてしまったけれど(先生、ごめんなさい)。開放弦のシーンだけは今でも忘れられないです。

楽器を習った経験がない方も。音楽の授業でピアニカやリコーダーで合奏した時のことを思い出していただけると、イメージをつかみやすいかなと思います。

あの音を出す直前の瞬間って、「ここでしくじったら注目される(下手したらクラスメイトにもからかわれる)」ってわかるからこそドキドキするんですよね。

このドキドキ、野外スケッチで描き出す瞬間ととても良く似ていると思うのです。

野外スケッチのドキドキはどこから来るのか

野外スケッチで最初の一筆を書き出す時、経験5年目の今でも少しだけ恐怖を感じます。それはこんなことを考えるからだと思います。

  • 私の実力でこれを描きあげられるだろうか
  • 人前で失敗しないだろうか

やっぱり楽器の場合と根っこの部分は同じなんですね。少し怖さがあって、失敗したときの恥ずかしさを恐れている。

野外スケッチのほとんどケースにおいて人の目があります。そんな中で派手に失敗したり、下手っぴな絵になってしまったらやっぱり恥ずかしいです。

私の場合、もう「初心者」と言い訳できない経験年数に入ってしまったせいもあってなおさらです……。

もちろん、そんなことに気を取られるのはあまり良くないとわかっています。でも理想と現実は違いますからね(^^ゞ

「本当に描く? やっぱりやめておく……?」
そのまましばし迷う時もあります。

でもいったん描くと決めたら、一気に気持ちのエンジンを入れます

二胡のレッスンで先生に「開放弦!」と告げられたときのように、もう迷ってる余裕はそこにありません。不要な迷いは失敗を招くだけです。

この思い切った”踏み切り”ができるかどうか。風景画スケッチャーとしてのひとつの試練のような気はします。

ひとりだけ世間と違う行動を取る、という日本人ならではの感覚もあるかも(※追記)

※この記事をリライトしていて、「いや、もうひとつあるな」と感じたので追記です。

野外スケッチって、自分ひとりだけ世間と別行動をとる趣味です。そこに心理的な抵抗を持っている人も多いのでは(無意識であったとしても)、という気が個人的にはしています。

日本人はよくも悪くも、みな同じような考え方をして、同じような行動をします。

そこから離れて独自の考え方をする人、独自の行動をする人は才能がある人と見られることもありますが。多かれ少なかれ、奇異の目で見られます。

昔に比べれば、ひとり旅など一人行動はそれほど気にされなくはなってきました(昭和の頃は女性の一人旅は自殺すると思われて、宿側で警戒されたとか(※母の話)。

それでも、独自の考えで集団から離れて行動する人は目立ちます。

よく「同調圧力」なんて言われますが、この集団の考え・行動から離れることを特に若い人はよく思わないという調査結果を見たこともあります。

野外スケッチをしていて「すごい」と驚かれることが多いのは、上手く描けてるという意味ではなくて。「よくそんな目立つことを人前でやれますね」という、ひとり行動に対する驚きではないかなと。

その意味では、日本において野外スケッチは心理的にちょっとハードルが高めの趣味なのかもしれません。

外で描くことに慣れようと思ったら、まずはひとりで行動することに慣れるのが鍵かも。

気持ちのエンジンを入れる時は、飛行機の離陸をイメージしてみる

この前、スケッチ旅で飛行機を利用しました。

私はいつもLCC利用です。格安だけあって、動き出しても飛行機がすぐには飛ばないんですね。のろのろと飛行場のトラックをまわり、何度コーナーを曲がったかわからなくなったくらいでようやく飛びます。

でもいったん離陸体勢に入ったら、もうこれまでののろのろが嘘みたいに一気に加速して飛び立つんですね。乗客側にも突如としてG(重力)がかかってきます。

私が「いったん描くと決めたら、一気に気持ちのエンジンを入れます」と言ったのは、この感覚にとても近いです。

飛ぶと決めたら、飛ぶしかない。加速を始めた以上後戻りはできないから、ただ進むしかないという感覚です。

野外スケッチ初心者さんで、「どうしようかな。人がいるし、うまく描けるかわからないし…」と迷うことがあったら、「自分は飛ぶと決めた飛行機なのだ」と考えてみてください。

すべての機器の確認は済んでいる。管制からも離陸許可が出ている(そして自分の後に離陸を待ってる飛行機がいる)。乗客乗員はみなシートベルトを締めている。あとは離陸を待つだけ。

もう行くしかない――。

そう思ったら、「ええい、やってやる!」と少し勇気が出てきませんか?

この気持ちの切り替えがスパっとよくできたなと思えたときのスケッチは、不思議と良い出来になることが多いです。

短時間で勢いのままに描き上げたスケッチは臨場感をとらえた、またとない作品になります。

こういった絵は、野外で緊張感を持って挑まない限り描けません。室内で写真を見ながらのスケッチとは、描いているときの感覚がまるで違います。

空からしか見えない景色がある。野外スケッチにしかない魅力がある

野外スケッチでしか見えない景色があるから。私は絵を描き続ける。

離陸した飛行機は、目指す空港に着陸するまで飛ぶしかありません。

スケッチも同じです。描き始めたら、あとは自分を信じてひたすら描き続けます。ちょっと間違ったり、怖気づいたりしても手を動かして完成させるしかありません。

二胡のレッスンがそうだったように。厳しいわけじゃない。けれども常に緊張感が伴い、勇気を必要とするのが野外スケッチという趣味かもしれません。

そんなこと聞くと、怯んでしまう人もいるかもしれないですね(^^ゞ

けれども、空の上からしか見られない景色があるように。野外スケッチという体験を通じてしか感じられない楽しみや幸福もまた存在します。

だから体力的に疲れる、人に見られる恥ずかしさというデメリットがあっても野外スケッチャーは描くことをやめられないのだと思います。

季節の風を感じながら、今このときだけの一瞬を描く。これほど爽快な趣味はなかなかないかと。

勇気を持って飛ぼうという意思さえあれば。初心者さんでも、始めたその日から野外スケッチの魅力を感じてもらえると思います。

ひとりではどうしても怖かったら、スケッチ会などのイベントなどで他の人と一緒に描いてみるのもおすすめです。

慣れないうちは怖い、不快と感じるかもしれません。それは飛行機の離陸の際に感じる不安のようなもの。けれどもそこを越えてしまえば、これまで知らなかった景色が見えてくると思います。


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