風景画スケッチを続けていると、自分の中で「描くのが苦手だな」と感じる対象も出てきます。
苦手なものは練習して克服する、というのが王道ですよね。
私もかつてはそう思っていました。でも今は少し違うかな。
絵の練習や研究ばかりしていて、肝心の作品がぜんぜん描けていない。これでは本末転倒では……?
この “使える時間” という現実を見据え上で、苦手なものにどう対処するか。私なりの考えを紹介したいと思います。
強みを活かし、苦手なものを避ける
苦手を避けるというと、聞こえが良くないないと感じる方もいるかもしれないですね。
私はそう前向きに捉えています。
それにプロの作品であっても。「この人同じような構図の街並みばかり描いているな」「人物しか描いていない」といった偏りが見られるのは普通です。
自分の能力を得意なことへ投入し、作品を作る。それは決して悪いことではないと思います。
絵描きとしての自分をどう育成するか?
キャラクター育成型のゲームで考えてみると、わかりやすいかもしれません。
パラ―メーターで突出したものがないよう育てたキャラクターって、どうですか?
平凡だし、案外使いにくいことも。攻撃力が高い、魔力が高いといった一部に秀でているキャラの方がかえって役立ったりします。
絵についても。絵描きとしての自分を育成している、と考えてみるといいかも。
これをどうやって振り分けるかは、その人次第。
- なんでも描けるようにするもよし
- 花の絵に特化するもよし
- 今1番苦手な部分に振るのもよし
けれどもその選択が自分という絵描きの未来を決めます。行き当たりばったりでもいいけれど、ほんの少し「将来こうなりたい」というイメージを意識してみるといいかもしれません。
私の場合は「自由自在に旅スケッチができるようになりたい」という目標があります。その未来へプラスになる選択を心がけています。
それでもやっぱり気分で動くことはあるけれど^^;
苦手を絵の主役として取り上げない
個人的には、ごちゃっとした集合体が苦手です。茂みとか、木の梢などですね。それから葉っぱがたくさんついた花とか。
そんな事情もあり、木を主役にした作品はほとんどありません(※過去に何度かチャレンジしてみたものの、うまく描けずボツになり、日の目を浴びなかった)。
こんな感じでサブモチーフとして、少し絵に入っているくらいなら平気です。
ちょっとした添え物といった役割なので、いつもと違う描き方を試してみる、なんて実験も可能。そうやって、自分のスタイルに合った描き方を日々模索しています。
たまにはあえて苦手なものを描いてみる
それでも、「苦手なものがいつか描けたらいいな」という思いはあって。時々ですが、あえて苦手なものへチャレンジしてみたりします。
自分で「これは得意じゃないな」というものを描く時、どうしても身構えてしまう部分ってありますよね。
スキル的に苦手なものを今すぐ完璧に描けるかというと、当然無理な話。だから私は完走を目指しています。
これもそんなお勉強作のひとつ。
途中から、明らかに実物とずれ始めたのに気づいてました(たぶんどこかで目コピを誤った(汗))。
背中を通り過ぎていく人が、どうかのぞき見してませんように(下手っぴな失敗作だから)と半ば祈りながら描いていました。苦手なものなので当然時間もかかります。内心じりじりしてましたね。
それでもやり遂げた後は、「なんとか私、できるじゃん!」とちょっとだけ自信がつきます。もうしばらくやらないけれど(笑)。
そうやって苦手なものでも長い目で取り組んでいると。牛歩の歩みかもしれないけれど、以前よりは確実に描けるようになっていきます。
苦手なものを避けるのは、本当に逃げじゃないのか?
ここまで、私なりの苦手なスケッチ対象への対処法を紹介してきました。
基本的には、苦手なものは真っ向から立ち向かわない(勉強作以外は)、がスタンスです。
とはいえ、若干の後ろめたさがないかと言われたら嘘になります。
理想としては苦手なことから目を背けず、全部克服していけたらいい。たぶん20年前の私なら「逃げだな」と自分に対してつぶやいたと思います。
ある程度年を取って。自分の意思とは無関係な制約を受ける時間が増えたから、自然とあきらめがついたような気がしています。
けれども一生絵を描き続けたいのであれば、このあきらめと受容、現実を見据えた対処って大事かも。
「ああっ、描きたいのに時間がない……!」「練習の時間がなかなかとれなくて、上手に描けない自分にイライラする」と葛藤してしまうと、きっと描くこと自体がつらくなってしまうから。
たとえ、少し後ろめたさを感じてしまったとしても。現実の困難に真っ向からぶつかって筆を折ってしまうより、ずっと良い選択だと思います。
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