風景画を描く人の年齢層を見ると、やはり若い方よりシニア層が中心のようです。
定年退職後の趣味で絵を始めたという話もよく聞きます。私自身もスケッチ活動を始めたのは40代に入ってから。
海外だとアーバンスケッチャーには若い描き手も多いので、個人的には釈然としないものを感じていました。「日本だって、もっと若い人が風景画をやってもいいのでは?」と。
でも。「20代の頃の自分が40代の今のように絵を描けただろうか?」 そう考えてみると、答えはノーなんですよね。
スケッチのスキル以前に、内面的な観点からありえないだろうなと。絵を描くことについて今のように深く考察できなかったと思えるからです。
若い頃は素朴な土地が持つ魅力に気がつけない
風景画スケッチャーとしてなにより致命的だったのは。若い頃、素朴な土地が持つ魅力にまったく気付けなかったことだと思います。
二十歳の頃、妹と西伊豆を旅しました。
若者が喜びそうな観光施設も当時はほとんどありませんでした。せいぜい遊覧船くらいでしょうか。
あとは加山雄三ミュージアム、なまこかべの美術館といった、どちらかというとシブめの観光名所が中心。二十歳前後の姉妹の旅先としてはいまいちだったかもしれません。
妹はかなり退屈だったらしく、もう私とは旅行に行かないと帰ってから言われました(-_-;)
西伊豆を批判するつもりはありません。当時の私達にあっていなかっただけの話です
でも風景スケッチが趣味になった今振り返ると。
これが20年という歳月の変化です。
人生経験が不足しており、物の見方・感じ方が浅い
若い頃はたいして興味を持てなかった、なにもないと思えた土地。それが今では逆に興味深く見えるという不思議。
じゃあどうしてこんなに精神面で差があるのかというと、やはり生きてきた歳月の積み重ねだと思います。
20歳の頃はまだ人生において、失敗らしい失敗をあまり経験していませんでした。
――それからの人生で3度も会社を首にされて。夢も仲間もお金も失い、落ちるところまで落ちていくわけですが。これだけ色々あれば、変わりたくなくても人間変わってしまいます。もう若い頃と同じ目線、同じ気持ちで世の中を眺めることはできません。
決して私自身がそんな人生を望んだわけではなかったけれど。絵を描く上ではプラスの経験となったのは「人生うまくできてるな」と思うところがあります。
若い頃大事にしていたものを失う一方で、歳を重ねて新しく見出したものがあるという方は多いのでは。
もしもっと若い頃から絵を描けていたら、体力が必要な山や海外でも色々スケッチして回れたのに。たまに考えてみることがあります。
けれども何度想像してみても。あの頃の私は今ほど描くことに対して夢中にならなかっただろう、そう思えるのです。
当時はまだ諦めきれない夢があり、何度も旅したけれど旅先で絵を描こうと思い立ったことは一度もなかったからです。
見栄えが良い定番モチーフに惹かれがち
海外のスケッチャーさんは日本に比べて若い方も多い、と前にふれました。
とはいえやはり若者。タワーやイタリアのドゥオモのような見栄えのする建物、活気溢れる街角など、映える絵になりやすい場所を好んで描く傾向があるようです。
さびれた港を好むような若い方は海外でもあまりいない様子。
読書界隈ではよく、「若い頃はつまらなかった本のおもしろさに歳をとってから気付いた」なんて話を聞きます。
風景画の世界でも似たような感じ方の違いがあるのかもしれません。
心理学でこのあたりの心境変化を研究している人がいそう
私自身、旅スケッチに憧れを持っていた若い頃は洋館や教会といった「ザ・スケッチの定番」を描きたいと考えていました。
実際スケッチ活動を始めてからしばらくは、そういったものも描いていました。最近は定番ものから少し距離を置くようになりつつあります。
20年後、現在は興味のかけらもないものをスケッチしているかもしれません。
風景画を描くのにある程度の歳が必要と思われる理由
若い頃から絵画教室に通ったり、教本で独学してもさっぱり絵が描けるようになりませんでした。
その理由の半分はやり方が悪かったのが原因だと思います。
残り半分は、風景画スケッチを趣味にできるだけの感性が自分の中に育ってなかったからではないか。そんな気がしています。
もちろん世の中には若い風景画スケッチャーさんもいます。でも彼ら彼女らは、なんらかの理由によって自分の中に成熟したものをすでに持っていたのではないかなと。
この感性を自然と育ててくれるものの代表格が、おそらくは人生経験なのだと思います。
それゆえ風景画スケッチを始めようとスタート地点に立った時点で、ある程度歳を重ねている人が多いのではないかと。
すべて私の推測ですけどね
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